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エレキコミック第23回発表会「Right Right Right Right」~「くだらなさ」と「本質」の境界線上で踊れ!~

「くだらなさ」の中にある「本質」。「本質」の中にある「くだらなさ」。それらが入れ替わり立ち替わり現れ、観る者の価値観の壁を叩いては逃げてゆく。その揺さぶり方は常に悪戯心にあふれ、ピンポンダッシュ的なスリルを伴う。尻尾を捕まえようと思えば捕まえきれず、逆に捕まってしまう。今のエレキコミックの笑いには、そんな掴みどころのない吸引力がある。特に「くだらなさ」と「本質」の拮抗っぷり、あるいは共存共栄っぷりは、今年頭のエレ片コントライブ『コントの人8』以降、どうやら新たな段階に突入している。

なぜ「くだらない」ことがこんなにも面白いのか? それは物事の中にある「くだらなさ」と「本質」が、実のところ同源であるからだ。『ドラゴンボール』のピッコロ大魔王と神様が元は一人のナメック星人であったように、その両極は共通の体から生まれ、途中までは同じ物を食べて育っている。

「くだらなさ」と「本質」。その本来は同じ物体であったものが、いつ何をきっかけに、なぜ分かれたのか? その「境目」をあぶり出すように、エレキコミックのコントは作られている。その「境目」とは、すでに分かれてしまった後の両者からしてみれば、なかったことにしたい「傷口」であり、大半の人々はそんな「傷口」どころか、二つが同一体であったことにすら気づかずに過ごしている。あるいは気づかないふりをして生きている。社会生活をスムーズに送るために。

だが緊張と緩和の「境目」に笑いが生まれるように、笑いはあらゆる境界線上に存在する。もちろん「くだらなさ」と「本質」の「境目」というのもまた豊潤な笑いの油田である。しかし「境目」というのは、そのどちらかだけを知っているだけでは浮き上がらせることはできず、両者を体感あるいは洞察できていなければ、その境界を見極めることができない。

それは当然、「両者を並べて真ん中に線を引けばいい」なんてアバウトなことであるはずがなく、その「境目」は、徹底的に物事を考えた先にしかない。「くだらないこと」をとことんまで考えた先に「本質」が浮かび上がり、「本質」の具体例を無数に考え出した末に圧倒的な「くだらなさ」が噴出する。

突き詰めた先にある境界線上で踊り狂う笑い。その綱渡りでピンポイントな感触こそ、まさに笑いの「本質」なのではないか。

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『さまぁ~ずライブ9』

二人の鋭敏な言語感覚はもちろん、相変わらず場面設定が魅力的。特にラストの「虹太郎遊技場」のような、「ルールのよくわからない場所」はまさに大竹ワールド。そこは因果律の狂った世界。当たり前のことが当たり前でなく、説明すべきところに説明はなく、無駄に思われることを何度も繰り返しやらされる不条理な場所。

だが実のところ世の中というのは本来そういうもので、だからこそ無理矢理共通のルールを作ってなんとか回しているだけのこと。そんな世間の本質をついつい暴いてしまうその手つきは、『さまぁ~ず×さまぁ~ず』で理不尽なカフェ店員への不満をぶちまけるときの大竹の「気づきすぎてしまう」鋭敏な感覚がベースになっている。

本作では、『さまぁ~ずライブ7』あたりで感じた若干の失速感もほぼ払拭。歌ネタはマイナスターズ全盛期に比べると大人しく感じてしまうが、幕間の小ネタまで凝った作りはやはり流石。適度なアドリブ感が生み出す先行き不透明なスリルもベテランならではの味を感じさせる段階へと突入し、三村の絶妙なポンコツ感はむしろ今後の伸びしろを感じさせる。一見シャープでもソリッドでもないのに密度と精度が異様に高い、というさまぁ~ずの魔力を改めて感じる一作。

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