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エレ片コントライブ『コントの人8』 2014/1/31公演~めくるめく罵詈雑言をソリッドな笑いに回収する「純度」~

圧倒的に「純度」の高い笑いの空間だった。「純度」というのは、たとえば「純文学」や「純喫茶」というような意味における「純度」であり、言うなればこれは「純コント」である。

「純度が高い」というのはつまり、ここには笑い以外何もないということだ。いや本当は、だからこそその裏面にあらゆる感情の機微を豊富に感じ取ることができるのだが。そういう意味では、「ここではすべてが笑いに回収される」と言ったほうが正確かもしれない。

エレキコミックのやついいちろう、今立進、そしてラーメンズの片桐仁。この三人のコントユニット「エレ片」8回目のライブは、これまで続いてきたシリーズ物を廃し、明らかな転換期を迎えた。彼らはラジオ番組『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』の中で、今回のライブについて、「ソリッド」であり「パンク」であり「プログレ」であると語っていた。その攻めの姿勢を感じさせる言葉を受け取って、僕は勝手に不条理演劇寄りの方向性で来ると予期していた(特に「プログレ」という言葉のインパクトが強かったため)。しかし実際にライブを観たら、完全に真逆の方向性で思いきり面喰らうことになる。

だがそれは完全に良い意味での裏切りであり、むしろ彼らをありがちな型に嵌めて安易に理解しようとした自らの予測の薄っぺらさを恥じた。三人の放つあらゆる台詞が、一挙手一投足が、そしてそれらを受け取ることで生み出される観客のリアクションさえもが、もれなく彼らの世界観に取り込まれ、次々と笑いの渦へと回収されてゆく。笑いを生み出すその手つきは、放送禁止レベルのどギツい下ネタを振り回す剛腕もあれば、流れの中で何気なくこぼれ落ちたひとことの繊細なタッチであったりもする。

たしかにその手法の幅広さと緩急の巧みさ、繊細な小技と大胆な展開の両立は、音楽でいえば「プログレ」的であると言えるかもしれない。だがそれ以上に顕著なのは、とにかくすべてが笑いに向けて「ソリッド」に研ぎ澄まされているということだ。そうやって不純物を削ぎ落とした結果、彼らのコントは非常にシンプルかつ鋭利な「パンク」として、いやそれ以上に「ポップ」で「キャッチー」な明快さを持って観客に提示されている。

「難しいことを難しく見せない」「複雑なことをシンプルに見せて入口を設ける」というのはあらゆる表現行為に求められる重要なポイントだが、ここではあらゆる表現をソリッドに、手加減なく振り切った結果、「笑い」というひとつの極端な場所にすべてを集約させるという、シンプルで大きな流れが生まれている。

あるいはこの文章の冒頭に掲げた「純度」という言葉から、イノセンス的なものを想像した人もいるかもしれないが、ここで言う「純度」というのは無論そういう意味ではない。むしろここにあるのは、世界中の汚れをすっかり浮かび上がらせるような罵詈雑言の嵐であり、嫉妬と卑屈にまみれた生々しい言葉のオンパレードである。

だからといってもちろん、「笑いによって何もかもが解決する」とは思わない。世の中はそこまで楽観的に出来てはいない。しかし見て見ぬふりをするよりは、しっかり見つめて笑い飛ばしたほうが世界は間違いなく健全だ。表面的な小綺麗さよりも、そちらのほうがよっぽど視界に曇りがなく「純度」が高い。見えていないものを笑いに変えるのは困難だが、見えているものはすべて笑いに変換できる可能性がある。もちろん簡単なことではない。

ここには、笑いをすべてに優先させる世界観があり、それ以外は何をどう思われても構わないという演者とスタッフの確かな覚悟が見える。そして覚悟の決まった純粋さには、やはり人の心を揺さぶる圧倒的な力がある。昨今の、覚悟の足りなさばかりが浮き彫りになるテレビの世界では、間違いなく生まれ得ない笑いだ。やはり「笑い」をやるには、どうしても「勇気」が不可欠らしい。

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