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『日刊サイゾー』ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」第6回更新~『宮川賢のまつぼっくり王国』~

『日刊サイゾー』のラジオ批評連載コラム第6回は、関東圏では土曜深夜4:00~4:30というエアポケットのような時間帯に放送されている、『宮川賢のまつぼっくり王国』について。

【めくるめく複眼思考の、ひとりしゃべりキングダム『宮川賢のまつぼっくり王国』】
http://www.cyzo.com/2012/09/post_11559.html

宮川賢といえば、何よりもまず素人をも巻き込む大胆不敵なふざけっぷりが評価されてきた人だけど、近年はニュース系の番組もやっているように、だんだんその奥に隠れていた真面目方面の引き出しも見えてきて、その真面目と不真面目の中間に位置するのがこの『まつぼっくり王国』という番組だと思う。

といってもそれはあえてそういう位置を狙っているとかいうことではなく、自由なフィールドを与えられれば人間の様々な側面がかわるがわる立ち現れてくるということなのだが、しかし真面目と不真面目の間にどれだけ豊かなものを孕んでいるかはやっぱりパーソナリティーによるとしか言えない。

そういう意味で、『まつぼっくり王国』におけるひとりしゃべりの中から見えてくる宮川賢の語りは、単に真面目と不真面目の間を行き来しているとか、その間を意識的につないでいるということではなくて、本来は真面目も不真面目もまったく同じところから生まれ出てきたものだというようなフラットな感覚で、すべてが同じフェイズで語られる。

真面目と不真面目が混ざるとか、あらゆるエンターテインメントが目指している「面白くてためになる」というのはまさにそういうことで、ただ真面目と不真面目を足し算すればいいということではなく、その二つが同源同根であるという感覚が根底にないと面白さと深さは両立しない。

『ドラゴンボール』のピッコロ大魔王と神様という両極端の存在がもとは一人だったように、どちらかがなくなったらもう一方もなくなってしまうというような、そういう切っても切れない関係が真面目と不真面目の間には本来あるはずで、だからむしろその両者が混在している状態こそ自然で自由な状態なんじゃないかと、そんなことを考えるのはまあ僕の勝手なんだけど、改めて考えると宮川賢の面白さの根っこにある感覚というのはそういうものなんじゃないかと。もちろん、聴いてるときにはただ楽しんでいるだけでそんなことは考えているはずもないのだが。



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『キングオブコント2012』感想

決勝進出者のラインナップを見た時点で、今回は明らかに無名選手が多いのは間違いなく、地味というよりはサッカーでいうところのU-23五輪代表のような、あえて実力者を排除しているような制作者サイドの狙いを感じたのだが、結果的にはいつものように「半数はやっぱりちゃんと面白い人がいて、しかし何組かはなぜこのレベルの人を残したんだろう?」という感触に終わった。ただそれでも事前の期待の異様な薄さからすると、期待以上だったということにはなると思うが、やっぱりダークホースがそんなに大量にいるはずもないのがこの世の常。多かったらダークなホースとは言わないので。

以下、登場順に感想を。

【さらば青春の光】
一本目は意外と評価が高くて驚いたが、実際にはただちょっとした豆知識(兆の先の数字の単位とか、曾孫の先の先祖の呼び方とか)を繰り返しているだけなので、創造性が感じられなかった。それでもその知識の使い方やシチュエーションに意外性があれば面白くできるのだろうが、お金を数える場面とか、通常その知識を使うべきところで使っていただけなので、もうひとつひねりが欲しいと感じてしまう。

二本目は「痛いの痛いの飛んでけ=いたとん」というコント内流行語を生み出し、その繰り返しによるグルーヴで押し切った感じだった。この大会は制限時間が4分と短いので、ひとつハマるキーワードを提示できた場合、それで最後まで寄り切ったほうが精度を保てるという典型的な例。

【銀シャリ】
ベタな設定のコントの中に、時おりその枠からはみ出すクレイジーな言葉が飛び出してきて、そこを楽しみに耳を澄ましているとかなり面白いと感じる。ただ、ベタと狂気の割合でいうと前者が大きすぎて、それが間違いなく安定感にはつながっているのだが、観ているほうが待ち構えているほどには狂気的フレーズが来ないという飢餓状態に陥ってしまう。

前半の安定は必要だとしても、コント後半にはもっと狂気的方向に振り切って、わけのわからないことを連呼するくらいの飛躍があってもいいのではないか。そういう尖ったワードセンスは端々に感じるので、あとは自身がどこを制限してどこを解放していくかというバランスの問題になってくるような気がする。

【トップリード】
受け手がどのレベルの言動で笑うのか、その見込みがそもそもズレている上にコントが成立しているので、コントとしてはちゃんと完成しているように見えても、その実ツボではない骨や皮の部分をゴリゴリ押されている状態。押すべきところと引くべきところの判断もなく、とにかく全体に押している印象なので、勢いは自然と出るがそれだけに空回りが目立つことにもなる。

【かもめんたる】
他の芸人に比べると地味でおとなしめな印象だが、ところどころ飛び出してくる言葉に妙な強度があって、ある種の文学的センスを感じた。そのぶんキャラよりも言葉に頼りすぎた作りになっているところが地味さの原因かもしれないが、突拍子もないフレーズの引き出しを持っているという部分にポテンシャルを感じる。個人的にはもっと上位に来てもいいと思った。

【うしろシティ】
二本ともに、短時間の中に強者と弱者の立場が反転するダイナミズムが感じられる構造になっており、その展開力にはワンパターンとはいえ目を見張るものがあった。

ちょっと演技がオーバーすぎるのが気になるといえば気になる(気になるといわなければ気にならない)が、二人の関係が微妙な言動により徐々に逆転していくのであろうことを巧みに予感させながら、ラストには思った以上に、完璧なまでに逆転しきるところまで行くという、観ている側の想像力を上手く使いながら期待以上のところまで到達してみせる展開にはもはや爽快感すらあった。もっと上位だと思ったのだが。

【しずる】
何よりもスタイルの斬新さで勝負してくるのはいつも通りだが、それだけに二本クオリティを揃えるのが難しいというのも例年通り。

いかにも玄人=審査員好みのスタイルの新しさはたしかに感じられるのだが、スタイルに過剰にこだわっているがゆえに、そのスタイル内にすべてが収まってしまうという物足りなさもある。

コントの前半、受け手にとってなんだかわからない状態から、そのネタの「型」を見極めるまでの段階の楽しさはしずるの大きな武器だが、いったんその「型」を受け手が受け入れてしまうと、その先はわりと単調な、その枠内における繰り返しに終始してそのまま終わっていくという竜頭蛇尾な印象がいつもある。「型」のクオリティがいつもいいだけに、後半そこからはみ出してどこまで行けるのかを観てみたいと思うのだが、それを4分という制限時間の中でやれというのは酷なリクエストなのかもしれないとも思う。

【夜ふかしの会】
演劇畑というプロフィールから危惧していたとおり、悪い意味で演劇臭い部分ばかりが目立った。ネタになる一歩手前の、あるある過ぎてあるあるネタとしては弱いあるある的状況を、発声と演出でなんとかするというパターンは、他のお笑い芸人たちのネタに比べて弱点と長所が逆転しているぶん、長所の部分だけを見れば新鮮に映るかもしれない。

しかしネタ自体の弱さというのは笑いにとって致命的なもの=核の部分であって、当然だが他の長所をいくら並べたところで補える箇所ではない。大人数で声を揃えて叫んだり、完璧なタイミングで動きを合わせたりといった、いかにも練習の成果が伺えるような演出を施したところで、それは面白さにはつながらずただ生真面目さばかりが印象に残る。

【バイきんぐ】
駄洒落的な言葉のセンスなど、ところどころ古さを感じさせる部分もあったが、振り切れ具合と思いきりにおいて飛び抜けていた。

特に言葉の強弱のつけ方が絶妙で、特別面白い言葉は強く、そこそこの面白さの言葉はそこそこにという、いい塩梅の力加減でテンポを作っていく技術に経験を感じた。あえて技術と言ったがしかしこれは単なる技術ではなく、何が面白くて何がそうでもないかという判断とはつまり、笑いのセンスそのものである。

いやもちろん、すべてのフレーズが最高に面白く笑えない箇所が一行もないのが理想だが、現実には説明台詞とかも必要な関係上、最高に面白い箇所とそうでもない箇所を適宜判断して演じていかなければならないわけで、そうなると強弱の判断というのは笑いを組み立てるうえで非常に重要な意味を持ってくる。

観ている人にとって何が想定内で何が想定外であるのか、その判断がまず正しくなければ、期待に応える笑いも予想を裏切る笑いもできず、共感も違和感も与えられぬまま終わってしまう。その点、バイきんぐのネタの根底にはその見極めの正しさがあるから、その上に何を乗せても面白くなるような、今回の無双状態を呼び込めたのではないかと思う。納得の優勝。


最後に。今年の全体的な感想としては、設定や衣装や動きといった派手な要素よりも、各々の言葉のセンスが評価された大会だったように思う。というとコントというよりは漫才に対する評価のように響くが、コントにおいても言葉は重要な役割を担っているのだということを再認識させられた。あとはちょっと、番組としてダウンタウンに頼りすぎだなぁ、とも。

【過去の感想】
キングオブコント2011』感想
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20110924/1316792355

キングオブコント2010』感想
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20100924/1285257143



『日刊サイゾー』ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」第5回更新~『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』~

『日刊サイゾー』のラジオ批評連載コラム第5回は、お洒落な場所に爽やかさのかけらもない、悪夢のような白昼夢のような秘密基地のような地下要塞をこさえた番組について。

【地方FMというアウェイの地に築かれた、毒舌王の強烈な磁場『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』】
http://www.cyzo.com/2012/09/post_11443.html

特にツイッターによる密告文化が幅を利かせるようになって以降、歯に衣着せぬ本音を売りにしていたあらゆる番組がヌルく丸く奥歯に物が挟まっていく中、時代と逆行するように刃を研ぎ続けているのがこの番組。

といってもその根本原理は奇をてらったものではなく、「とにかく嘘が嫌い」だという真っ正直なスタンスの表れであって、その証拠に有吉のトークもリスナーのメールも全部本当のこと、本当の気持ちしか言ってない。それが抜群に面白いのは、やっぱり本当の意見のみが持つリアリティというものがあるからで、しかし本当の意見というのは必ず誰かを傷つけることになっているからリスクが大きく誰も言いたがらない。「王様は裸だ!」という本当の意見は、結局のところ一人の無垢な子供にしか言えないわけで、本当のことを言わない癖がついてしまった社会人は、そのうちに本当のことを思いつかない思考回路を習慣的に身につけてしまう。

世に愛される毒舌家に対して、「あいつはみんなが思ってるけどあえて言わないことをわざわざ言ってるというだけ」という意見があるが、それは上記の理由により間違っていると僕は思う。多くの人は、もう本当のことを思いつく思考回路ごとすっかり失ってしまっているから本当のことを言えないのだということに、自分で気づいていないだけだ。普段から面白いことを言ってない人に面白いことが言えないように、普段から本当のことを言っていない人にもう本当のことは言えない。

……というようなことを終始考えさせるようなお堅い番組ではもちろんなくて、むしろ全編悪ふざけ三昧の、誰にも何にも役に立たない生粋の非教育的番組なのだが、「本当のことを言う」ことと「悪ふざけ」の相性がすこぶる良いということに気づいている人たちには、この上なく楽しめる番組であることは間違いない。逆に悪ふざけの中に真実を見つけられない人には、当然まったくお勧めできないのは言うまでもないが言う。