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テレビ/ラジオを自由気ままに楽しむためのレビュー・感想おもちゃ箱、あるいは思考遊戯場
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『日刊サイゾー』ラジオコラム「逆にラジオ」第2回更新~『安住紳一郎の日曜天国』~

『日刊サイゾー』のラジオ批評連載コラム第2回です。

【局アナの枠を飛び出したマジカルな思考回路の冒険『安住紳一郎の日曜天国』】
http://www.cyzo.com/2012/07/post_11101.html

安住さんの思考回路は、土屋賢二やえのきどいちろうや内田百閒のエッセイに近いねじれ方をしているような気がします。

本当は誰しもがそれくらいねじれた脳を持っているのかもしれないのに、それをなかったことにして社会生活を送っている。テレビでの安住さんの仕事っぷりにもそういった機能性を感じることがあるけど、ラジオの彼はその生の思考回路を存分に解き放っているように思えます。

とはいえ思考回路を正確に解き放つには、豊潤な言葉とそこから的確な言葉を選び取るセンスが必要で、それはアナウンサーという仕事だからこそ身につくものなのかもしれないし、もともとそういう言語感覚を持った人なのかもしれない。他のアナウンサーにはあまりない能力だと考えると、やっぱり後者かなと思いますが。

コラム内で紹介したようなオープニングトークの大半はポッドキャスティングでも聴けるので、ぜひ聴いて脳を揺らしてみてください。

【TBSラジオ 安住紳一郎の日曜天国】
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/



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『27時間テレビ』でタモリを熱くさせるのは誰だ?~『プレタモリ』2012/7/17放送~

今のタモリに必要なのは、刺激だけなのかもしれない。その実力も感性も、まだまだ鈍ってはいない。しかしその刺激の供給源は、いったいどこにあるのか? 今回の『27時間テレビ』は、おそらくそこが最大の見どころになるだろう。そう予感させる事前番組だった。

この特番は、タモリが『27時間テレビ』で絡む相手となる芸人やタレントに、あらかじめ挨拶にいくという内容。それだけのことなので、特に盛り上がりがあるというわけではない。とはいえ、くりぃむしちゅーやとんねるず、ダウンタウンらとの絡みは意外に新鮮で、それぞれとの微妙な距離感に意味を読み取る楽しみがあった。

くりぃむしちゅーにとってタモリは、最初のブレイクのきっかけとなった『ボキャブラ天国』の司会者であり、とんねるずにとってのタモリは、『お笑いスター誕生!!』において最も自らを高く評価してくれた審査員だった。そしてダウンタウンには、騒ぎすぎる『笑っていいとも』の客が気に入らずレギュラーを降りたという微妙な経緯がある。

そういう過去の経緯が、どこまで今の関係に影響するのかは正直わからない。しかしこの日のとんねるずのタモリへの心酔ぶりは予想以上で、タモリのネタをやたらと細かく覚えていてフリまくる石橋貴明の目は、スターに会った子供のように輝いていた。とんねるずとタモリの絡みは、『27時間テレビ』の大きな注目ポイントになるだろう。

ネプチューンにとってもタモリは『ボキャブラ』の司会者だが、タモリとホリケンが実はコメディアンとして意外と近い属性を持っているという点も、タモリにとって何らかの刺激になるのではないかという予感がしている。ホリケンの唐突さにひるまず、むしろさらに唐突に返すタモリの姿が観たい。無意味の応酬。

しかし実はこの日タモリが最も喜んでかまっていたのはインパルスの堤下で、何の脈絡もなく堤下のデブいじりを、小学生のように繰り返していた。堤下が律儀に毎度微妙に違う怒りかたで返してくるのがお気に入りらしく、このまったく意味のないことを性懲りもなく繰り返すスタンスは、タモリの真骨頂でもある。考えてみればタモリほど無茶ぶりによって鍛えられてきた芸人もいないわけで、山下洋輔や赤塚不二夫らの無茶なリクエストに応える形で彼の芸は作られてきた。そう考えていくと、堤下をはじめ、タモリが誰に無茶ぶりを仕掛けて鍛えていくのか、という楽しみもある。

『27時間テレビ』の全体に弛緩した空気の中で、どこにピークが訪れるのか。普通に考えればさんま、たけし、タモリのビッグ3の共演(たけしは来る、何かに乗ってきっと来る!)ということになるだろうが、タモリが意外な若手に面白味を見出して食いつく可能性も充分にある。今回の『27時間テレビ』は、タモリが誰を刺激して、誰がタモリを刺激するのか、そこに注目して観ると面白いと思う。



ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」開始~『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』~

『日刊サイゾー』にて、ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」が始まりました。月2回ペースで更新の予定です。

「個人的には全然『逆』じゃなくて『当然』だけど、世間的にはやっぱり『逆』なのかもしれない」というスタンスで、ラジオについて考えていくことになると思います。

第1回目は、『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』について。番組自体がねじれているので僕の番組愛も自動的にねじれてますが、掛け値なしに、お笑い好きが一番聴くべきラジオ番組のひとつだとずっと思ってきました。

どうぞよろしくお願いします。

【日刊サイゾー】ラジオ批評「逆にラジオ」第1回~あいつを笑っている俺も、きっとどこかで笑われている~ 予測不能な「集団的笑い」の境地『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』



『夏が来た!! HEY!HEY!HEY! お台場“生”の歌祭り』2012/7/9放送回~生のボケが持つ笑いの牽引力~

最近の松本人志はまとめのコメントがやたら上手い。その上手さはどの上手さかというと落語的な上手さで、たとえば鈴木奈々のような天然系タレントが2分かけて喋ったオチのない話を、ひとことで完全に表現しつつ若干のひねりを加えてオチをつける、そんな能力のことである。

ただその上手さが良いかというと、ダウンタウンを観続けてきた世代としてはむしろ寂しさのほうが大きかったりする。その場を上手いことまとめる能力というのは、ある種ビジネスマン的な能力であって、「まとめる」とはつまり「現実を矮小化する」作業である。

それは才能というよりも、経験によって身につく能力なのではないか。僕が不安に思うのは、「他の芸人も皆、ゆくゆくはそう(上手いこと言うように)なっていく」というパターンをすでに知ってしまっているからで、あの天才・松本人志までもがそんな一般的なルートを辿ってしまうのか、と考えるといつも残念な気持ちになる。

だがこの日の松本は違った。彼は場をまとめるよりもむしろ、場をかき乱すような発言をところどころ連発することで、「荒らし屋=ボケ」としての本能を久々に見せてくれた。そう、ボケる力のある人間にはやっぱり、まとめるよりも荒らす方向の笑いを求めたい。

特にローラとの会話の場面。初めてテレビで歌を披露することになり、いつもと違い緊張してすっかり上の空のローラに、何かにつけ「くりぃむしちゅー」というNGワードを連呼し、それを浜田に指摘される前に自ら「あー! 言ってもた! 絶対言ったらアカンやつやのに! 絶対言ったらアカンやつやのに!」(注:詳細うろ覚え)といって頭を抱えるというくだりをしつこく繰り返す様は、観客も視聴者もスタッフも置き去りにしてぶっちぎるような思い切りの良さと往年のキレを感じさせた。

そもそも松本のやってきた笑いとは、観客を置いてけぼりにするところからスタートしたと言っていい。「観客や視聴者のリクエストに応え、流行に半歩遅れてついていく」というマーケティング的な笑いではなく、常にわからずやの観客を、強引にねじ伏せ教育するような形で先頭を突っ走ってきた。少なくとも『ごっつ』終了までの彼には、間違いなくそういう牽引力があった。そこまで開拓力のある芸人は、残念ながらそれ以降登場していない。いまだに若手芸人の目標は松本人志であり続けている。

だからこそ、僕は松本に「上手いだけの人になって欲しくない」という思いが強いのだが、実際のところ彼はもちろん上手いだけではなく、『ダウンタウンDX』等でのコメントを聴いていても、常に上手さの上にきっちりと悪意をトッピングして笑いを誘うひねりを失ってはいない。ただ、この先どこかの段階で、上手さしか残っていないという日が来るのではないかという不安は常にあって、多くの芸人は加齢とともにそうなっていくという事実がある。

この日の放送が特別だったのは、何よりも生放送だったということ。つまり尖った発言もカットできないという状況であったわけで、その自由さあるいは緊張感が松本を生き生きとさせたのか、あるいは普段から果敢なボケをしているものを、編集でカットして上手いこと言っているところだけを使われているのか。個人的な印象では、この日の放送を観る限りどうも後者のような気がしていて、そこにはそうであって欲しいという僕の願望も含まれている。「面白いとこが使われていない」という状況が彼のような大物にまで頻繁に起こっているとしたら、それは芸人にとってとても悲劇的なことだが、そのぶん芸人本体の才能がいまだ輝きを失っていないことが保証されることになるからだ。

そのへんの真相はわからないが、とにかく生の松本人志が観たいと、久々に強く思った。そういえばダウンタウンの番組は生放送が少ない。映画や『MHK』のように作り込んだコントよりも、今の松本には勇気ある生放送番組こそが必要なのではないかと、ふと思った。「ふと」と言うわりには結構考えた上で思った。

『エンタの神様 大爆笑の最強ネタ大連発SP』2012/6/30放送~見事に功罪相半ば~

前回のスペシャルに引き続き、新録ネタと既発ネタをごちゃ混ぜにした謎の構成。

単純に番組の「現役感」を出したいから新録ネタを混ぜているということなんだと思うが、明らかに過去の傑作に比べ新録ネタが弱いので、番組に関してはむしろ「終わった感」のほうが強く出てしまった。ベスト盤の中に入っている新曲がつまらないことが多いのと同じ理屈。

しかしネタ自体は、公式HPにあった通り「M-1チャンピオン&キングオブコント覇者&ザ・マンザイ王者&R-1優勝者が次から次へと登場」し「笑いのチャンピオン達が自ら選んだ№1の最強ネタで勝負する」というある種の無双状態が続くため、もちろん面白い。

だが面白かったのはあくまでも、「M-1チャンピオン&キングオブコント覇者&ザ・マンザイ王者&R-1優勝者」たちのネタであって、彼ら王者たちは正直、この番組の主役ではなかった。彼らはむしろ番組の格を保つために「保険」として起用されていた実力派たちであって、この番組の本道とはむしろ、波田陽区、コウメ太夫、桜塚やっくんら、オール巨人師匠に「あの子は芸が荒れとる」と小一時間説教されそうな新人の発掘であったのは間違いない。言ってしまえばそれ以外は普通のネタ番組だった。

そしてこの特番に、彼らのような、番組のアイデンティティともなっていた一発屋芸人たちはことごとく呼ばれていない(もちろん「呼ばれたのに断った」可能性はあるが、各芸人の置かれている状況からして考えづらい)。特につい先日『テベ・コンヒーロ』における衝撃の復活劇が地下で話題を呼んだコウメ太夫に関してはベストタイミングかと思われたが、彼も登場することはなかった。

ならばそういう一発屋芸は、番組的にはもうすべてなかったことにしたいのかと思いきや、なぜか「姫くり」というエンタ得意の「リズム&あるある芸」劣化版の終着駅のようなコンビだけは出てきたりして、番組自体の感性が過ぎ去りし全盛期で完全に止まってしまっていることを強く感じさせた。

だが一方で、先に「保険」とは言ったものの、アンジャッシュ、タカトシ、サンドウィッチマン、ドランクドラゴンなど、確固たる実力を持った芸人たちにコンスタントに場所を提供していたのは、そこが番組の核ではないにしても間違いなくこの番組の「功」の部分であった。「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかもしれないが、実力のある者に適切な場所を提供するということが、世の中では不思議なほど行われていないという現実がある。

ただし、番組のレギュラー復活を目論むならば本道で行かなければ意味はなく、核となるアイデンティティを変えるならば別のネタ番組として作ったほうがいい。美化された思い出にとどまるならば先は見えない。