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『M-1グランプリ2016』感想~改めて「漫才らしい漫才」というベタな評価軸を持ち出さねば測りきれぬほどの、まれに見る接戦~

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毎度司会者や審査員は、口を揃えて「今回はレベルが高い」と言うものだが、今回は本当にレベルが高かった。ゆえに何か強引にでも確固たる評価軸を設定しておかないと、異様に審査が難しい大会だったと思う。

きっと審査員のうちの何人かは、自分の趣味嗜好を超えたところで、「M-1のMは『漫才』のMだ」というところを拠りどころに、最終審査に望んだのではないか。そうやって、ある種自分の外に客観的な評価軸を設定しないと比べられないくらい、上位陣の実力は例年になく拮抗していたように思う。

個人的には、最終決戦に残った3組の、1本目と2本目のクオリティの差に注目していた。『M-1』の場合、優勝するためには「2本揃える」というのが至上命題となっているが、やっぱり1本目で高得点を叩き出さない限り2本目に進めない以上、どうしても1番の自信作は1本目に持ってくることが多い。

つまり2本目は、必然的にクオリティがいくらか落ちるのが当然で、あとは1本目で認知されたキャラクターの浸透力でどれだけカバーできるかの勝負になってくる。

今回の場合、最終決戦に残った3組のうち、2本目が1本目と同等のクオリティを備えていたのが和牛、若干落ちたのがスーパーマラドーナ、それよりもさらに少し落ちたのが銀シャリだと感じた。銀シャリは1本目が良すぎた、というのもある。

とはいえこの3者の2本目の出来の差は誤差に近く、つまり審査員の面々にとっても、自分内にある「面白さ」という主観的基準だけで優勝者を決めることを諦めざるを得ない状況にあったと思う。

結果、審査員は「漫才らしい漫才」という、大会名に則った至極ベーシックなメジャーを今さら工具箱から引っ張り出したうえで、もっともオーソドックスな(コント的でない)漫才スタイルで勝負した銀シャリに軍配を上げた、ということになるのではないか。

逆にいえば、「漫才らしい漫才」という評価軸を改めて持ち出させた時点で、銀シャリの勝ちが見えたということもできる。どんなジャンルにおいても、邪道が王道を打ち破るには、誰が観ても明らかなほど圧倒的に勝つしかないのだ。

それでは以下、登場順に感想を。

【アキナ】
マセた5歳児が親に浴びせかける大人びた発言の数々。
話が進んでいくにつれ、それらが徐々に名言レベルへとグレードアップしていくという尻上がりな展開。

緩急や意外性はあまりなく、巧さはあるが突出した特徴がないとも言える。

【カミナリ】
ウド鈴木的なボケ+方言ツッコミ。
というと「キャイ~ン+U字工事」ということになるが、ツッコミのパンチ力の強さも含め、当たらずとも遠からずか。

ツッコミの比重が高く、その声の大きさと大振りな腕のスイングが印象に残るが、言葉の精度もちゃんと高い。
たぶん大御所の人たちは、「そんなに殴ったらアカン」的なリアクションをすると思ったので、上沼恵美子の81点は案の定。しかし巨人師匠の91点はちょっと意外。

【相席スタート】
合コンを野球のバッティングにたとえてみせる演出は面白いが、中身の「あるある」ネタが巷間に出回っている一般的な「あるある」であり過ぎるため、根本的なエンジンパワーが弱い印象。

共感はできるものの、共感を超えない。

【銀シャリ】
ほとんど完璧といっていい漫才を見せた1本目。
ボケが一番面白くなってきたあたりで、スパッと思い切りよく次のパターンへと切り替える展開力とタイミングの妙。
中盤で一気に畳みかける箇所もあり、緩急も自在。
最小限の素材を最大限に活用する、コストパフォーマンスの異様に高いネタで、隙がなく圧巻だった。

そんな完璧な1本目に比べると、2本目はやや小粒な印象。
1本目の「ドレミのうた」というピンポイントな設定に比べると、「雑学」というやや広めなテーマ設定であったぶん、縦に深めきれないまま終わった。

それでも対等な勝負に持ち込めるだけのクオリティは備えており、2本トータルで考えるならば納得の優勝。

【スリムクラブ】
相変わらずもの凄くゆったりしたテンポにもかかわらず、「U-18の天狗」「ばあちゃんを2WDに戻してください」「僕はおばあちゃんから生まれた」「家族のトーナメント表みたいなの」など、キラーフレーズ満載でとにかく面白かった。
圧倒的に不条理な世界観と鋭利なワードセンスの相性も絶妙で、個人的には大好きだが、ついていけない人が少なくないのもわかる。

上沼恵美子はもっとわかりやすくしろと愛のムチを放っていたが、個人的には下手に観客に合わせてほしくない。もちろんわかりやすく味つけしない限り、評価してもらうのが難しいのはわかるし、まさに今回がそういう場だったわけだけれど。

【ハライチ】
昨年は独自の「ノリボケ漫才」を封印した結果、普通すぎる漫才になってしまっていたが、今年はきっちり新たなハライチを見せてくれた。

形としては、ツッコミを無視して容赦なくボケ進めていくという、ナイツやオードリー系の「すれ違い漫才」に近い。
といっても従来の「ノリボケ漫才」も、冒頭とラスト以外はまともな会話にはなっていなかったわけで、そういう意味ではハライチらしい距離感はきっちり生かされたスタイル。
しかし今回のように、「漫才らしさ」が評価基準になってくると、2人が正面からガッチリぶつかり合う「対話の妙こそが漫才」という古典的な価値観が壁になる。

だが個人的にはかなり面白く、このパターンのネタを他にも観てみたいと思った。

【スーパーマラドーナ】
スーパーマラドーナといえば武智のヤンキー感が売りだと認識していたが、今大会で田中の方のポンコツキャラがブレイク。

日常的な出来事の報告が徐々に狂気性を帯び、起承転結の「転」で衝撃の展開を見せた1本目。
田中の歩き方レベルの細かいボケもきっちり機能していて、その変態的なキャラクターを印象づけることに成功した。

それに比べると2本目はやや大味だったが、スピード感と派手なアクションによって細部をカバーして余りある勢いが生まれ、貧弱な田中が体格のいい武智をひょいと持ち上げたところで笑いが沸点に達した。

全体にもう一段階精度を高めることが出来そうな余地があり、逆にそこが伸びしろとスケールの大きさを感じさせる。
とはいえ、今回優勝してもなんの不思議もなかった。

【さらば青春の光】
「漫画やん」「能やん」「浄瑠璃やん」とツッコミワードを限定しつつ発展させていくことで、狭い設定を深く掘り下げるタイトな言葉遊び。

最後に待ち受けていた「キャッツやん」がやや言葉として弱く、ラストが尻すぼみ気味になってしまったことが悔やまれるが、他とは絶対にかぶらない設定やキーワードで勝負してくるあたり、やはりこの人たちにしかできない世界観がある。

【和牛(敗者復活枠)】
2本ともクオリティをきっちり揃えてきたあたり、やはり確固たる実力を感じさせるし、他のネタも観たいと思わせる力がある。

1本目がドライブ、2本目が花火大会という同方向のデートネタを2本揃えてきたのも、クオリティの安定に一役買っているとは思うが、逆にそこが2本目を縮小再生産っぽく見せてしまったかもしれない。
実際には2本目も、クオリティは1本目同様に高かったのだが、今回ほどの僅差勝負になってくると、そういう戦略的な部分も少なからず(そして決定的に)作用してくるだろう。

とにかく人間の嫌な部分を細かく炙り出すボケのセンスが秀逸で、そこに関西のテンポ感の良いツッコミがジャストタイミングで入ってくる。
描写のレベルも細かく、2本目で迷彩柄の服が思わぬところで効いてくるあたり、すっかりしてやられた。

最終決戦を3者が終えた時点で、個人的には和牛が優勝するのではないかと思った。彼らの2本目のクオリティには、それくらい確かなものがあった。


《『M-1グランプリ2015』感想~「ネタ」と「キャラ」の融合が生み出すミラクル薄毛ファンタジー~》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-301.html

《『M-1グランプリ2010』感想》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20101226/1293372609

《観客の反応がすべてを支配しすぎ、だが結果は意外と順当 ~M-1グランプリ2009総評~》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20091222/1261426486

《「スピードで誤魔化せる範囲は限られる」M-1グランプリ2008総評》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20081222/1229948554

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『キングオブコント2016』感想~「縦に掘り下げる」笑いと「横に展開させる」笑い、それぞれの妙味~

キングオブコント2016

コントには、大きく分けてネタを「縦方向に掘り進める」型と「横方向に展開させる」型の2つがあるような気がする。いやコントに限らず、映画であれ漫画であれ文学であれ、そういう選択肢は常にある。

たとえば面白いワンフレーズを思いついたときに、それを良きタイミングでかぶせたり、表現をさらにエスカレートさせることで笑いを取っていくのか、それともそのフレーズを徐々に変形させ、あらぬ方向へと展開させながら意外性の笑いを生み出していくのか。

前者=「縦型」の典型は昨年のロッチの試着室ネタであり、後者=「横型」の典型はかもめんたるのネタに多く見られる。

もちろんその組み合わせというのもあって、縦に掘ったり横に広げたりしながら進んでいくのが理想形なのかもしれないが、しかしそこには「時間」という大敵が立ちはだかる。

今回の『キングオブコント2016』を観て改めて思ったのは、「4分間」という制限時間の難しさだった。もちろん6分なら6分の難しさがあり、15分には15分の難しさがある。それはわかっているのだが、「4分」という時間はどうやら、縦に掘る、つまりワンアイデアに頼ってかぶせて最後まで押し通すには長すぎ、一方で話を横へ展開させ広げていくには短すぎる。

いやむしろ難しい枠組みだからこそ、ちゃんとそれぞれの実力差が浮き彫りになる、ということでもあるのだが。縦でも横でも構わないが、どの方向にしろ「4分」という厳しい制限時間の中で、なにかしらの「飛躍」が求められている。

それでは以下、登場順にネタの感想を。

【しずる】
刑事2人が犯行現場へ突入。しかしその直前に、犯人がすでに捕まっていると知らされる。しかしなぜか現場突入プレイを続行する2人。

「犯行現場に犯人がいない」というコントの仕掛けが早いぶん、後半まで緊張感を持たせるのが難しい。

ベタの裏をかいた設定が枠組みとしてきっちり機能しているぶん、定番の逆をついたボケを安定して積み重ねていくことができるが、同時にその安定した場所からはみ出すのが困難にもなる。

お約束でもその真逆でもなく、最終的には第3の方向にまで行ってほしかったが、そうなると時間が足りない。

【ラブレターズ】
溜口の歌唱力を生かした歌ネタでありながら、それが塚本演じる高校球児のストーリー説明になっているという、ハイブリッドなスタイル。

ただ、歌の分量が多く、歌詞も替え歌というほど原曲を生かして遊ぶわけではないため、物語を説明する時間がかなり続く。

それゆえボケまでのストロークが長く、さらにはボケが野球好きでないとピンと来ないものであったため、苦戦を強いられることになった。

「スリーバント失敗」というのが選手にどれだけのダメージをもたらすか、僕は野球少年だったのでもちろんわかるが、一部のファンを除けば昨今の野球離れはかなり進んでいるようだから、たぶんわからない観客も多かったのではないか。

【かもめんたる】
1本目の遠距離恋愛も、2本目のヒッチハイクも、中盤で狂気性が露わになり、最終的には怖がらせて終わるという展開。

その中に、1本目の花を贈るゼスチャーであったり、2本目の「冗談どんぶり」というフレーズであったり、定型を縦にかぶせていく方法も入れ込んでいる。しかしそこがむしろあまり機能せず、横方向への展開を邪魔しているようにも思えた。

【かまいたち】
1本目はただ「首が下がる」というだけのマジックの繰り返しで、典型的な「縦に掘り下げる」系のネタと言っていいと思う。何度も繰り返されるうちに、いつの間にかそれを「もっと、もっと」と期待してしまうという意味でも、昨年のロッチの試着室ネタに近い感触。

横方向への展開には色気を見せず、これ一発で勝負してやろうという蛮勇がまた笑いを誘う。シンプルでありソリッド。

2本目はホームルームで給食費の盗難を問いただすという定番設定だが、犯人が自白癖のある生徒であるがために様相は一変。おかげで彼の壊れた因果律に巻き込まれ、まともなはずの教師が混乱を来すという見事な転倒が起こる。

最後にもうひとつ驚きが欲しかったが、ひとりの狂った価値観が全体をひっくり返す様は痛快ですらあった。

【ななまがり】
「茄子持ち上げるときだけ左利きだよ」という不条理なフレーズが頭の中を巡り巡って悪戯をするという、説明しても何が何だかわからない設定。

脳内の思考回路を具現化する手法は面白いが、現実と狂気が両極端で、その間の曖昧で一番「おいしい部分」が出てこないのがどうにももどかしい。

【ジャングルポケット】
「他人が用を足しているトイレのドアを開けちゃった」というだけのことが「トイレの個室に3人いる」異様な状況を呼び込み、さらに「誕生日サプライズ」へとぐるぐる展開していく。

速度も密度もある圧倒的な展開力で、完成度は随一。

2本目は病院での余命宣告から、その余命の驚くべき短さをどう使うかというある種の大喜利的展開。こちらも次々と展開して観る者を飽きさせないが、1本目に比べるとやや枠内に収まった印象ではあった。

彼らの場合、どうしても斉藤の派手な演技に目が行きがちで、たしかにそれが世界観への入口として重要な機能を果たしているのは間違いない。

しかしその根底を支えているのは、このアクロバティックな高速展開を可能にしているシナリオのクオリティであると思う。

【だーりんず】
結婚式前日の父子の会話。

父の告白により発覚した複雑な父子関係よりも、父親が童貞であるのかが気になってしょうがないという一点で話が進む。気になるポイントもやや強度が足りず、特に展開もないためあまり印象に残らなかった。

【タイムマシーン3号】
1本目は、カツアゲした相手が打ち出の小槌。小銭で行けるとこまで押しつつも、後半は小銭→小判→巨大な石のお金と、飽きさせない展開がしっかり用意されている。

2本目は演劇の本読み練習。こちらも後半には言葉遊び的な展開が少し用意されているが、ここはちょっと蛇足だったような気も。

【ジグザグジギー】
箸で蠅を捕まえる達人が蠅を捕まえ続け、もう1人がそれにツッコミ続けるというシンプルな内容。

これも典型的な「縦型」のネタだが、「箸で蠅を捕まえる」という第1インパクトを終始越えられなかった印象。

【ライス】
1本目は、銃を突きつけられているほうが偉そうな指示を出しまくるという逆転現象。

これも定番を裏返す形だが、要求をエスカレートさせていくさじ加減が巧妙で、徐々に引き込まれた。ただし、引き込まれるまでに結構な時間がかかったため、前半はやや退屈だった。

2本目は、喫茶店の客とウエイターの間に起きるトラブル。こちらも良くある設定かと思いきや、水をこぼされたのではなく単なる尿失禁だったことが明らかになり、状況は一気にねじれてくる。

そのねじれ状態が絶妙だったが、失禁の発覚という最大の驚きが結構前半にあったため、やや尻すぼみの印象も。


個人的には、ジャングルポケットが一番面白かったと思うが、2本目より1本目のほうが良かったため、採点上はやや不利な状況であったのかもしれない。一方で優勝したライスのネタには、観る側が面白さを自ら探す余白のようなものがあり、そこは特に現行審査員に玄人受けする部分もあったのではないか。


《『キングオブコント2015』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-299.html
《『キングオブコント2014』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-282.html
《『キングオブコント2013』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-247.html
《『キングオブコント2012』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-200.html
《『キングオブコント2011』感想》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20110924/1316792355
《『キングオブコント2010』感想》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20100924/1285257143

『アメトーーク!』週2回化にまつわる期待と不安

アメトーク

10月から、『アメトーーク!』が週2回放送になるらしい。

http://www.oricon.co.jp/news/2077897/full/

本人は違う曲を演奏しているつもりでも、聴き手からすると「この人、なんか最近似たような曲ばかりやってるな」と感じることが、音楽ではよくある。それは音楽に限らず、漫画でも小説でもよくあることなのだが、そこから受ける印象が「安定感」なのか「マンネリ感」なのかは、判断が結構難しい。

近ごろわりとよく、「同一人物が作る創作物の限界範囲」というようなことを考える。

これも音楽で考えてみると、それぞれ思い当たる節があるのではないだろうか。ミュージシャンはある方向性を打ち出すことによって世に出るが、やがて自らマンネリを感じ、音楽性の幅を広げようとチャレンジする段階が必ず来る。尖っていたバンドが急にバラードをリリースしてみたり、レコーディングにホーンセクションを導入してみたり。

結果、残念ながら全体のクオリティは落ちることが多い。幅を広げることにより、本人は多くの武器を手に入れたような気になるが、もちろん持っている武器の数が多いほうが強いとは限らない。1本しか剣を持たぬ相手に、10種類のあらゆる武器を持って立ち向かったところで、どれも扱いきれぬまま斃されるだけだろう。

では同じことを延々と続け、横ではなく縦方向へと、求道者的に狭い道を掘り進めていったほうがいいかというと、そこには常に行き詰まりの恐怖がある。

『アメトーーク!』が13年やってきたこの段階で週2本になるというのは、非常にリスクの大きい選択肢だが、だからこそ興味深いとも言える。

正直、プロデューサーが共通しているということもあって、近年は『アメトーーク!』と『ロンドンハーツ』が似てきていると感じていた。実際、最近ではこの2つの合同番組も放送されるようになってきているので、そのせいもあるのかもしれないが、出演者のチョイスから企画、演出に至るまで、やはり同じ人が仕切っていると、どうしても似てきてしまう部分があるのは間違いない。ナレーションに同じ人が起用されているだけでも、番組は途端に似た雰囲気になる。

つまり実質的には、今後は『アメトーーク!』が週3本放送されているような感覚に陥るのではないかと、個人的にはやや危惧している。これを、「『笑っていいとも!』のような帯番組よりは少ないから問題ない」と考えるべきか、「やっぱり飽きそう」と感じるか。

そしてもうひとつの問題は、週2回放送になるうえに、日曜のほうは「ゴールデン進出」でもあるということだ。以前、雨上がりの二人がどこかで、「『アメトーーク!』をゴールデンにという話はあるが、そういう番組ではないので断っている」というようなことを発言していたように記憶している(うろ憶え)。だから、たまにゴールデンで特番やるくらいが丁度いい、と。

だから個人的には、今回の報せには強い違和感をおぼえた。ただ、状況や段階によっても価値観は変わるものだから、いろいろと事情はあるのだと思う。本人と言うよりは、周囲の影響が。

まったく想像上の話だが、たとえば『アメトーーク!』に必要予算の3倍量のスポンサーが集まり、一方でゴールデンタイムの番組にはなかなかスポンサーが集まらない、というような状況があるとする。となれば、経営者としては、「じゃあ『アメトーーク!』の枠を増やそうか」という判断になるのは、むしろ自然なことのようにも思える。

無論それは、クリエイターとしての判断ではなく、あくまで経営者としては、だが。しかしテレビ局の上層部が、当然ながら経営者であることもまた間違いのない事実で。

いずれにしろ、今回の『アメトーーク!』倍増計画は、今後のテレビ界を占う試金石になるような気がしている。観る側としては、どうしても週2本になって弱体化していった『シルシルミシル』あたりの前例が浮かんでしまうが、そこで学習したノウハウも、何かしら生かされることになるだろう。

深夜のヒット番組がどのような幅の広げ方を、あるいは信念の貫きかたをしてくるのか、今後の動向に注目していきたい。

『爆笑問題の検索ちゃん 芸人ちゃんネタ祭り2015』~ネタ芸人のモチベーションを刺激する太田光という「笑いの試金石」~

検索ちゃん

年末年始といえば、ネタ番組の大量出現にお笑い好きとしてワクワクしつつも、同じネタを繰り返し観ることになって食傷気味になるのは例年の通り。その中で本当に存在価値があるのは、単にそれぞれの「鉄板ネタ」を並べただけの番組ではなく、やはり番組としての「方向性」が明確な番組。その点、毎年恒例になっているこの『検索ちゃんネタ祭り』は、ますます独特の存在感を放っていた。

毎度のことながらこの番組には、ほかの番組では滅多に観ないタイプの尖ったネタが集まる。他のネタ番組と芸人のラインナップこそかぶっているが、ここには他のネタ番組とは明らかに異なる切り口がある。それは番組側の意図するところでもあるだろうし、一方で偶発的な、自然発生的なものでもあるかもしれない。

その根底にあるのは、何よりもまず「ネタを太田光に見せる」という前提条件であるだろう。ネタは当然、お客さんに向けてやるものだが、ではここで言う「お客さん」とは誰なのか。テレビの前の視聴者、スタジオの観客、スタッフ、司会者、ひな壇のライバル芸人、審査員がいれば審査員等々、ひとくくりに「お客さん」といっても、そこにはさまざまな層がある。

それら多方面の「お客さん」に対し、全方位的にバランスの取れた高評価を得られるネタが、すなわち各芸人にとっての「鉄板ネタ」ということになるのかもしれない。そして芸人に対し、たとえさんざん余所でこすられたものであれ、「鉄板ネタ」を求める番組は多い。

もちろん、一方では「他の番組でやってないネタをやってほしい」というスタッフからのリクエストも多いはずで、芸人には常に「確実にウケるネタを」という要求と、「挑戦的な新ネタを」という二律背反の要求が突きつけられることになる。当然、「鉄板ネタ」というのは「すでにウケた実績を積み重ねてきたネタ」という意味だから、「余所であまりやってないネタ」や「新ネタ」は「鉄板ネタ」にはなり得ないわけで、この二つの要求は完全に矛盾する。

たとえば「挑戦的な新ネタを」という要求があった場合にも、スタッフへのネタ見せを経た結果、「やはりあの有名ないつものネタでお願いします」という判断に落ち着くケースが多いのではないか。結果、それらを並べれば必然的に、どのネタ番組も似たような仕上がりになってしまう、というジレンマを抱えている。

しかしこの『検索ちゃんネタ祭り』に関しては、「とにかく太田光ひとりに笑ってもらいたい」というのが、各芸人のモチベーションの核となっているように見える。そういう意味で、この番組の方向性はあまりに明確だ。もしかすると、「太田光を笑わせたい」という段階を越えて、ただ「驚かせたい」とか、いっそ行きすぎて「なんとかして太田光を呆れさせたい」といったレベルに達してしまっているネタも見受けられるほど。

そこへさらに、自由度を確保する長尺設定が相まって、他ではなかなか観られないチャレンジングで濃密なネタが並ぶ。たとえ他の番組と同じようなメンツが並んでいたとしても、ここにしかない太田光基準の「面白ければなんでもあり」で「前向きなエラーは許される」という独特な空気感が醸成され、それがそのまま番組の個性になっている。

この番組が他のネタ番組と一線を画している要因には、もしかしたらこの番組が、元来ネタ番組ではなく、クイズ番組のスピンオフとして立ち上がった、という経緯も少なからず関係しているのかもしれない。興味深い変化は、いつも内部ではなく外側から持ち込まれる。といってもオリジナルの『検索ちゃん』という番組は全然普通のクイズ番組じゃなくて、「毎度出演者が問題とは無関係な太田光の長話を聴かされる」という不思議な構造の番組で、その傍若無人な太田光の独裁体制が、『ネタ祭り』にも良い意味で着実に受け継がれている、と言えるかもしれない。

ネタ番組は数多あれど、毎年末、絶対に見逃してはならない番組のひとつであると断言できる番組。

『M-1グランプリ2015』感想~「ネタ」と「キャラ」の融合が生み出すミラクル薄毛ファンタジー~

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やはり「キャラクター」は強い。「キャラクター」と「笑い」の間には、間違いなく密接な関係がある。

とはいえ『M-1グランプリ』は漫才、つまり「ネタ」の勝負である。しかし漫才のネタというのは、あくまでもネタでしかなくて、それ単体では存在し得ない。必ずそれを演じる「キャラクター」がいる。だから必然、漫才のクオリティは、「キャラ×ネタ」という複合的な構図になる。

今大会、その掛け算における最大値を弾き出したのがトレンディエンジェルだった。キャラクターとネタの一体感、それに尽きる。漫才ネタの中に登場するあらゆる言葉と動きが、キャラクターを生かす方向にのみ的を絞って機能している。

「面白いことを言う人」に見えるか、「面白い人」に見えるか。その違いは大きい。キャラクターとネタが乖離していると、言ってることがどんなに面白くても、「面白いことを言う人」に見える。しかしキャラとネタが溶けあって一体化すると、その人は「面白い人=何をやっても面白い人」として認識される。後者はある種「ゾーンに入った」状態であるから、「最高のネタを2本揃えるのは難しい」と言われる『M-1』のような大会においても、2本揃えられる確率が格段に高くなる。

その「ゾーンに入った状態」を、「ファンタジー」と言い替えてもいい。キャラとネタが融合したところには、自動的に「世界観」が生まれる。世界観というと笑いとしては格好が良すぎるかもしれないが、たとえばトレンディエンジェルの漫才には、「禿げが堂々と禿げている」という独自の世界が、その乏しい毛髪の合間から見え隠れする。

いったい何を言っているのであろうか。しかし彼らが単に禿げキャラだから優勝できたわけでは断じてない。その「キャラクター」にとことんこだわり抜き、その一点を生かし切る覚悟があったからこそのクオリティであるはずだ。そのうえ斎藤さんの場合、「禿げなのになんか格好いい」という矛盾した2つの要素を、どういうわけか両立させている。これはもう生かすしかない逸材なわけだが、そこを生かすことにフォーカスし全身全霊を注ぎ込んだ彼らのネタが素晴らしいということもまた、間違いがない。

すっかり一周して「キャラ」の重要性の話から「ネタ」が大事だという話になったが、別に言いたいことが変わったわけではなく、トレンディエンジェルの場合、それくらい不可分な状態までキャラとネタが一体化している、ということが言いたい。

正直、2本目が終わった時点で、間違いなく満票獲得の完全優勝だと思っていたので、むしろ数票ほかに流れたことが意外だった、というぐらいの圧勝だった。

とりあえず、今後売れてから髪の毛を急に増やそうとしたりしないように、と祈る。

それでは、以下登場順に。

【メイプル超合金】
ルックスのインパクトのわりに、コツコツとヒットを打ってくる感触だったのは、設定という設定がなく、小ボケの連続に終始していたせいだろう。打率は低くないが、後半に向けてボケが積み上がっていく形になっておらず、横に並べて終わったという印象。四角四面なツッコミが、ボケを広げきれていないのもやや物足りなかった。

【馬鹿よ貴方は】
低いトーンと充分すぎる「間」により、「面白いことを言いそうな雰囲気」を醸し出しすぎているため、ボケのハードルが必然的に上がり、その上がりきったハードルをワードセンスが越えられていない。実は意味不明なほどトリッキーなことを言っているわけではないので、ハードルの上はもちろん、下をくぐるというような裏技でもなく、モヤモヤした感じだけが残る。雰囲気は充分に持っているので、それを生かす言葉が欲しい。敗退決定時の台詞「やっと『M-1』らしくなってきましたね」が面白く、あのひとことに可能性を感じた。

【スーパーマラドーナ】
前半の振りがしっかり効いて後半徐々に盛り上がってくるという意味で、完成度が高い。伏線も着実に回収され、終わり方も鮮やかで、しっかり練られているのが伝わってくる。逆にその完成度や巧さが、彼らのキャラクターが本来持っていそうなスケール感を小さく閉じ込めてしまっている印象も。

【和牛】
一般的な感情にモラルで徹底抗戦する理詰めの漫才。一挙手一投足に至るまで揚げ足を取り続けるその執拗さで、屁理屈の塔を着実に築いていく。期待した方向への満足度は非常に高いが、反面、ここまで徹底していると、ふと意外性が欲しくなる。

【ジャルジャル】
徹底した言葉遊びによるディスコミュニケーション。通常の会話ならばスムーズに流れていくはずの紋切り型の言動をわざわざ破壊することで、言葉や常識の無力さを炙り出すという、とても文学性の高いスタイル。90点弱の似たような点数が並ぶ中、他に差をつけるにはやはり既存の何かを破壊しなければならないということを改めて証明してみせた。しかし2本目は、皮肉にも自らが1本目で生み出した成功例を忠実になぞった結果、紋切り型に陥ってしまった。

【銀シャリ】
ジャルジャルに続き、こちらも言葉遊び系。しかし言葉の破壊にまでは至らず、あくまでも意味の範囲内をギリギリまで攻めるという形。「醤油フェスティバル」「やり口がボン・ジョヴィ」あたりのツッコミの言葉選びが秀逸で、オーソドックススタイルの漫才でありながらも、その限界点まで攻めている。2本目も同じく言葉遊びだが、細かい言い間違いの指摘から発展するところまでは至らず、1本目には及ばなかった。

【ハライチ】
自らの武器である「ノリボケ漫才」をいよいよ封印して挑んだ「王道」。しかし「王道」には、ありがちであるという「落とし穴」が常に仕掛けられている。設定はダウンタウンの誘拐ネタを思わせるもので、その影響下にあるフットボールアワーにかなり近い感触。澤部独特のイントネーションがなんとか個性を主張してはいるが、オーソドックスな「型」の中で合格点を取りにいった印象は否めない。トリッキーな「ノリボケ」スタイルの次を担うのは、「王道」ではなくまた新たな変化球であるということか。それが難しいのは百も承知で。

【タイムマシーン3号】
彼らもまた言葉遊び系だが、デブキャラを生かした「デブ語変換」であるぶん、「キャラ」と「ネタ」のシンクロ率は高い。中盤からは「デブ語変換 vs ガリ語変換」という対立構造も取り入れて飽きさせない。とはいえ「デブ語」に比べると「ガリ語」の方はやや弱く、後半やや失速した時間帯もあったが、ラストの3文字「タニタ」でしっかり盛り返してきた。ネタの完成度が高いぶん、優等生的な巧さが見えすぎる瞬間が少なからずあって、いい意味で人を食ったような雑さが欲しい気も。

【トレンディエンジェル(敗者復活枠)】
レベルの高い漫才を2本連続で繰り出せたのは、彼らがネタの中でネタを売り込むのではなく、キャラを売り込み続けてきたことの正当な結果だろう。やはりキャラクターに芯がある漫才は強い。どうしても斎藤さんにばかり目が行きがちだが、観客の疑問を的確に代弁してみせるたかしのツッコミ精度も相当に高く、まさに「痒いところに手が届く」ツッコミを毎度繰り出してくる。当然斎藤さんのワードも高精度を誇るが、それを大事に扱うのではなく、聴き取れるか聴き取れないかギリギリの速度で雑にパッと(ペッと?)放り投げる感じがなぜだか格好いい。もちろん本当に雑なわけではなく、楽器のアドリブ演奏のような絶妙な呼吸がそこにはあるが、その投げっぱなし感がネタに独特のドライブ感を与えている。妙に爽快感のある優勝。

《『M-1グランプリ2010』感想》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20101226/1293372609
《観客の反応がすべてを支配しすぎ、だが結果は意外と順当 ~M-1グランプリ2009総評~》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20091222/1261426486
《「スピードで誤魔化せる範囲は限られる」M-1グランプリ2008総評》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20081222/1229948554