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『M-1グランプリ2016』感想~改めて「漫才らしい漫才」というベタな評価軸を持ち出さねば測りきれぬほどの、まれに見る接戦~

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毎度司会者や審査員は、口を揃えて「今回はレベルが高い」と言うものだが、今回は本当にレベルが高かった。ゆえに何か強引にでも確固たる評価軸を設定しておかないと、異様に審査が難しい大会だったと思う。

きっと審査員のうちの何人かは、自分の趣味嗜好を超えたところで、「M-1のMは『漫才』のMだ」というところを拠りどころに、最終審査に望んだのではないか。そうやって、ある種自分の外に客観的な評価軸を設定しないと比べられないくらい、上位陣の実力は例年になく拮抗していたように思う。

個人的には、最終決戦に残った3組の、1本目と2本目のクオリティの差に注目していた。『M-1』の場合、優勝するためには「2本揃える」というのが至上命題となっているが、やっぱり1本目で高得点を叩き出さない限り2本目に進めない以上、どうしても1番の自信作は1本目に持ってくることが多い。

つまり2本目は、必然的にクオリティがいくらか落ちるのが当然で、あとは1本目で認知されたキャラクターの浸透力でどれだけカバーできるかの勝負になってくる。

今回の場合、最終決戦に残った3組のうち、2本目が1本目と同等のクオリティを備えていたのが和牛、若干落ちたのがスーパーマラドーナ、それよりもさらに少し落ちたのが銀シャリだと感じた。銀シャリは1本目が良すぎた、というのもある。

とはいえこの3者の2本目の出来の差は誤差に近く、つまり審査員の面々にとっても、自分内にある「面白さ」という主観的基準だけで優勝者を決めることを諦めざるを得ない状況にあったと思う。

結果、審査員は「漫才らしい漫才」という、大会名に則った至極ベーシックなメジャーを今さら工具箱から引っ張り出したうえで、もっともオーソドックスな(コント的でない)漫才スタイルで勝負した銀シャリに軍配を上げた、ということになるのではないか。

逆にいえば、「漫才らしい漫才」という評価軸を改めて持ち出させた時点で、銀シャリの勝ちが見えたということもできる。どんなジャンルにおいても、邪道が王道を打ち破るには、誰が観ても明らかなほど圧倒的に勝つしかないのだ。

それでは以下、登場順に感想を。

【アキナ】
マセた5歳児が親に浴びせかける大人びた発言の数々。
話が進んでいくにつれ、それらが徐々に名言レベルへとグレードアップしていくという尻上がりな展開。

緩急や意外性はあまりなく、巧さはあるが突出した特徴がないとも言える。

【カミナリ】
ウド鈴木的なボケ+方言ツッコミ。
というと「キャイ~ン+U字工事」ということになるが、ツッコミのパンチ力の強さも含め、当たらずとも遠からずか。

ツッコミの比重が高く、その声の大きさと大振りな腕のスイングが印象に残るが、言葉の精度もちゃんと高い。
たぶん大御所の人たちは、「そんなに殴ったらアカン」的なリアクションをすると思ったので、上沼恵美子の81点は案の定。しかし巨人師匠の91点はちょっと意外。

【相席スタート】
合コンを野球のバッティングにたとえてみせる演出は面白いが、中身の「あるある」ネタが巷間に出回っている一般的な「あるある」であり過ぎるため、根本的なエンジンパワーが弱い印象。

共感はできるものの、共感を超えない。

【銀シャリ】
ほとんど完璧といっていい漫才を見せた1本目。
ボケが一番面白くなってきたあたりで、スパッと思い切りよく次のパターンへと切り替える展開力とタイミングの妙。
中盤で一気に畳みかける箇所もあり、緩急も自在。
最小限の素材を最大限に活用する、コストパフォーマンスの異様に高いネタで、隙がなく圧巻だった。

そんな完璧な1本目に比べると、2本目はやや小粒な印象。
1本目の「ドレミのうた」というピンポイントな設定に比べると、「雑学」というやや広めなテーマ設定であったぶん、縦に深めきれないまま終わった。

それでも対等な勝負に持ち込めるだけのクオリティは備えており、2本トータルで考えるならば納得の優勝。

【スリムクラブ】
相変わらずもの凄くゆったりしたテンポにもかかわらず、「U-18の天狗」「ばあちゃんを2WDに戻してください」「僕はおばあちゃんから生まれた」「家族のトーナメント表みたいなの」など、キラーフレーズ満載でとにかく面白かった。
圧倒的に不条理な世界観と鋭利なワードセンスの相性も絶妙で、個人的には大好きだが、ついていけない人が少なくないのもわかる。

上沼恵美子はもっとわかりやすくしろと愛のムチを放っていたが、個人的には下手に観客に合わせてほしくない。もちろんわかりやすく味つけしない限り、評価してもらうのが難しいのはわかるし、まさに今回がそういう場だったわけだけれど。

【ハライチ】
昨年は独自の「ノリボケ漫才」を封印した結果、普通すぎる漫才になってしまっていたが、今年はきっちり新たなハライチを見せてくれた。

形としては、ツッコミを無視して容赦なくボケ進めていくという、ナイツやオードリー系の「すれ違い漫才」に近い。
といっても従来の「ノリボケ漫才」も、冒頭とラスト以外はまともな会話にはなっていなかったわけで、そういう意味ではハライチらしい距離感はきっちり生かされたスタイル。
しかし今回のように、「漫才らしさ」が評価基準になってくると、2人が正面からガッチリぶつかり合う「対話の妙こそが漫才」という古典的な価値観が壁になる。

だが個人的にはかなり面白く、このパターンのネタを他にも観てみたいと思った。

【スーパーマラドーナ】
スーパーマラドーナといえば武智のヤンキー感が売りだと認識していたが、今大会で田中の方のポンコツキャラがブレイク。

日常的な出来事の報告が徐々に狂気性を帯び、起承転結の「転」で衝撃の展開を見せた1本目。
田中の歩き方レベルの細かいボケもきっちり機能していて、その変態的なキャラクターを印象づけることに成功した。

それに比べると2本目はやや大味だったが、スピード感と派手なアクションによって細部をカバーして余りある勢いが生まれ、貧弱な田中が体格のいい武智をひょいと持ち上げたところで笑いが沸点に達した。

全体にもう一段階精度を高めることが出来そうな余地があり、逆にそこが伸びしろとスケールの大きさを感じさせる。
とはいえ、今回優勝してもなんの不思議もなかった。

【さらば青春の光】
「漫画やん」「能やん」「浄瑠璃やん」とツッコミワードを限定しつつ発展させていくことで、狭い設定を深く掘り下げるタイトな言葉遊び。

最後に待ち受けていた「キャッツやん」がやや言葉として弱く、ラストが尻すぼみ気味になってしまったことが悔やまれるが、他とは絶対にかぶらない設定やキーワードで勝負してくるあたり、やはりこの人たちにしかできない世界観がある。

【和牛(敗者復活枠)】
2本ともクオリティをきっちり揃えてきたあたり、やはり確固たる実力を感じさせるし、他のネタも観たいと思わせる力がある。

1本目がドライブ、2本目が花火大会という同方向のデートネタを2本揃えてきたのも、クオリティの安定に一役買っているとは思うが、逆にそこが2本目を縮小再生産っぽく見せてしまったかもしれない。
実際には2本目も、クオリティは1本目同様に高かったのだが、今回ほどの僅差勝負になってくると、そういう戦略的な部分も少なからず(そして決定的に)作用してくるだろう。

とにかく人間の嫌な部分を細かく炙り出すボケのセンスが秀逸で、そこに関西のテンポ感の良いツッコミがジャストタイミングで入ってくる。
描写のレベルも細かく、2本目で迷彩柄の服が思わぬところで効いてくるあたり、すっかりしてやられた。

最終決戦を3者が終えた時点で、個人的には和牛が優勝するのではないかと思った。彼らの2本目のクオリティには、それくらい確かなものがあった。


《『M-1グランプリ2015』感想~「ネタ」と「キャラ」の融合が生み出すミラクル薄毛ファンタジー~》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-301.html

《『M-1グランプリ2010』感想》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20101226/1293372609

《観客の反応がすべてを支配しすぎ、だが結果は意外と順当 ~M-1グランプリ2009総評~》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20091222/1261426486

《「スピードで誤魔化せる範囲は限られる」M-1グランプリ2008総評》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20081222/1229948554

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『真田丸』いよいよ終盤、描かれすぎた淀君と幸村の信頼関係が誘発する懸念と期待

大河ドラマ『真田丸』

大河ドラマ『真田丸』におけるキャラクター設定に、ここへきて無理が目立ちはじめている。三谷幸喜脚本による新解釈のツケは、やはり物語後半に少なからず負荷をかけるということらしい。特に歴史ドラマは結末が決まっている以上、斬新なキャラクター設定はどこかに齟齬を生じさせることになる。そこは歴史物ならではの難しさだろう。

特に気になるのは、淀君(茶々)と真田幸村(信繁)との関係である。僕は淀君が物語に登場した4月の時点で、以下のようなツイートをしていた。素朴な疑問だが、そこにはすでに懸念の種があった。




この『真田丸』というドラマの中で、幸村と淀君は、出逢った当初から殊に親密な関係として描かれてきた。淀君は幸村を大いに信頼し、秀吉に言えないような悩みや弱味も幸村には漏らした。少なくとも淀君にとって、このドラマ内で最も信頼できる人間は、側近の誰でもなく幸村であることに疑いはなかった。

だがその描き方には、歴史上の結果から逆算すると、やはり無理があった。同じく9月のツイートを引用してみる。




大坂の陣において、豊臣方は愚かな判断の連続に運命を委ねることになる。その中心にいるのは、淀君とその息子である豊臣秀頼である。そしてこの三谷脚本において、秀頼は利発な青年として描かれている。

豊臣方の決定権は、この二人のどちらかにしかない。淀君は幸村を元来信頼しており、秀頼も幸村の知性に信頼を置きはじめている。だとしたら、すべて幸村のアイデアどおりに事は進むはずなのである。幸村はじめ浪人衆と常に対立する乳母や叔父(織田有楽斎)の意見など、ものの数ではない。淀君は幼少期から乳母に特別な信頼を寄せているようには描かれず、有楽斎との関係についてはまったく描かれていないからだ。

それに対し、淀君と幸村の信頼関係は、遥かにぶ厚く描かれてきた。さらには淀君もまた、かつて様々な作品内で作り上げられてきた無知でヒステリックな悪女像とは異なり、本作においては冷静かつ利発な人間として描かれている。

だとすれば幸村の妙案は、百発百中で通るはずなのである。それで家康に勝てたかどうかはもちろんわからないが、少なくとも幸村を中心に、トップへの風通しの良い組織を組み上げることができたのは間違いない。

今話(第44回「築城」)では、最後にようやく秀頼の一存により、辛うじて幸村の案が最低限認められることとなった。しかしここで秀頼と幸村の信頼関係を強めてしまったことも、おそらくはこの先の物語展開を難しくする足枷になるだろう。全体としてはあくまでも、「風通しの悪い組織」として大坂方を描かざるを得ない以上は。

現状では、とにかく淀君の演技が難しくなっている。「幸村への根本的な信頼はありつつも、幸村を含む浪人全体はけっして信頼しない」という矛盾した距離感を要求されるからである。

この先、ゴールへの抜け道があるとすれば、やはりこのドラマが秀吉の晩年をそう描いたように、淀君をここから完全に「ご乱心」モードへと持っていくしかないのではないか。

つまり結局のところは他作品が描いてきたように、「ヒステリックな淀君」へと変貌させるしかないように見えるのだが、眼前に迫り来る戦火により淀君をどのように変身させてゆくのか、そこにはむしろ三谷脚本への期待のようなものさえある。なぜならばこの『真田丸』には、あの鋭敏な秀吉が徐々に鈍磨し乱心してゆく晩年を、見事に描き切ったという実績があるからである。

かなり難しい綱渡りだとは思うが、歴史の新解釈に挑戦する脚本家にとって、間違いなく腕の見せどころである。


【大河ドラマ『真田丸』をより深く、多角的に味わうためのルーツ的名ドラマ2作】
http://tmykinoue.hatenablog.com/entry/2016/09/16/173932

【真田昌幸の遺言~『真田丸』『城塞』『真田太平記』それぞれが遺した珠玉の言葉たち~】
http://tmykinoue.hatenablog.com/entry/2016/09/26/223102


『キングオブコント2016』感想~「縦に掘り下げる」笑いと「横に展開させる」笑い、それぞれの妙味~

キングオブコント2016

コントには、大きく分けてネタを「縦方向に掘り進める」型と「横方向に展開させる」型の2つがあるような気がする。いやコントに限らず、映画であれ漫画であれ文学であれ、そういう選択肢は常にある。

たとえば面白いワンフレーズを思いついたときに、それを良きタイミングでかぶせたり、表現をさらにエスカレートさせることで笑いを取っていくのか、それともそのフレーズを徐々に変形させ、あらぬ方向へと展開させながら意外性の笑いを生み出していくのか。

前者=「縦型」の典型は昨年のロッチの試着室ネタであり、後者=「横型」の典型はかもめんたるのネタに多く見られる。

もちろんその組み合わせというのもあって、縦に掘ったり横に広げたりしながら進んでいくのが理想形なのかもしれないが、しかしそこには「時間」という大敵が立ちはだかる。

今回の『キングオブコント2016』を観て改めて思ったのは、「4分間」という制限時間の難しさだった。もちろん6分なら6分の難しさがあり、15分には15分の難しさがある。それはわかっているのだが、「4分」という時間はどうやら、縦に掘る、つまりワンアイデアに頼ってかぶせて最後まで押し通すには長すぎ、一方で話を横へ展開させ広げていくには短すぎる。

いやむしろ難しい枠組みだからこそ、ちゃんとそれぞれの実力差が浮き彫りになる、ということでもあるのだが。縦でも横でも構わないが、どの方向にしろ「4分」という厳しい制限時間の中で、なにかしらの「飛躍」が求められている。

それでは以下、登場順にネタの感想を。

【しずる】
刑事2人が犯行現場へ突入。しかしその直前に、犯人がすでに捕まっていると知らされる。しかしなぜか現場突入プレイを続行する2人。

「犯行現場に犯人がいない」というコントの仕掛けが早いぶん、後半まで緊張感を持たせるのが難しい。

ベタの裏をかいた設定が枠組みとしてきっちり機能しているぶん、定番の逆をついたボケを安定して積み重ねていくことができるが、同時にその安定した場所からはみ出すのが困難にもなる。

お約束でもその真逆でもなく、最終的には第3の方向にまで行ってほしかったが、そうなると時間が足りない。

【ラブレターズ】
溜口の歌唱力を生かした歌ネタでありながら、それが塚本演じる高校球児のストーリー説明になっているという、ハイブリッドなスタイル。

ただ、歌の分量が多く、歌詞も替え歌というほど原曲を生かして遊ぶわけではないため、物語を説明する時間がかなり続く。

それゆえボケまでのストロークが長く、さらにはボケが野球好きでないとピンと来ないものであったため、苦戦を強いられることになった。

「スリーバント失敗」というのが選手にどれだけのダメージをもたらすか、僕は野球少年だったのでもちろんわかるが、一部のファンを除けば昨今の野球離れはかなり進んでいるようだから、たぶんわからない観客も多かったのではないか。

【かもめんたる】
1本目の遠距離恋愛も、2本目のヒッチハイクも、中盤で狂気性が露わになり、最終的には怖がらせて終わるという展開。

その中に、1本目の花を贈るゼスチャーであったり、2本目の「冗談どんぶり」というフレーズであったり、定型を縦にかぶせていく方法も入れ込んでいる。しかしそこがむしろあまり機能せず、横方向への展開を邪魔しているようにも思えた。

【かまいたち】
1本目はただ「首が下がる」というだけのマジックの繰り返しで、典型的な「縦に掘り下げる」系のネタと言っていいと思う。何度も繰り返されるうちに、いつの間にかそれを「もっと、もっと」と期待してしまうという意味でも、昨年のロッチの試着室ネタに近い感触。

横方向への展開には色気を見せず、これ一発で勝負してやろうという蛮勇がまた笑いを誘う。シンプルでありソリッド。

2本目はホームルームで給食費の盗難を問いただすという定番設定だが、犯人が自白癖のある生徒であるがために様相は一変。おかげで彼の壊れた因果律に巻き込まれ、まともなはずの教師が混乱を来すという見事な転倒が起こる。

最後にもうひとつ驚きが欲しかったが、ひとりの狂った価値観が全体をひっくり返す様は痛快ですらあった。

【ななまがり】
「茄子持ち上げるときだけ左利きだよ」という不条理なフレーズが頭の中を巡り巡って悪戯をするという、説明しても何が何だかわからない設定。

脳内の思考回路を具現化する手法は面白いが、現実と狂気が両極端で、その間の曖昧で一番「おいしい部分」が出てこないのがどうにももどかしい。

【ジャングルポケット】
「他人が用を足しているトイレのドアを開けちゃった」というだけのことが「トイレの個室に3人いる」異様な状況を呼び込み、さらに「誕生日サプライズ」へとぐるぐる展開していく。

速度も密度もある圧倒的な展開力で、完成度は随一。

2本目は病院での余命宣告から、その余命の驚くべき短さをどう使うかというある種の大喜利的展開。こちらも次々と展開して観る者を飽きさせないが、1本目に比べるとやや枠内に収まった印象ではあった。

彼らの場合、どうしても斉藤の派手な演技に目が行きがちで、たしかにそれが世界観への入口として重要な機能を果たしているのは間違いない。

しかしその根底を支えているのは、このアクロバティックな高速展開を可能にしているシナリオのクオリティであると思う。

【だーりんず】
結婚式前日の父子の会話。

父の告白により発覚した複雑な父子関係よりも、父親が童貞であるのかが気になってしょうがないという一点で話が進む。気になるポイントもやや強度が足りず、特に展開もないためあまり印象に残らなかった。

【タイムマシーン3号】
1本目は、カツアゲした相手が打ち出の小槌。小銭で行けるとこまで押しつつも、後半は小銭→小判→巨大な石のお金と、飽きさせない展開がしっかり用意されている。

2本目は演劇の本読み練習。こちらも後半には言葉遊び的な展開が少し用意されているが、ここはちょっと蛇足だったような気も。

【ジグザグジギー】
箸で蠅を捕まえる達人が蠅を捕まえ続け、もう1人がそれにツッコミ続けるというシンプルな内容。

これも典型的な「縦型」のネタだが、「箸で蠅を捕まえる」という第1インパクトを終始越えられなかった印象。

【ライス】
1本目は、銃を突きつけられているほうが偉そうな指示を出しまくるという逆転現象。

これも定番を裏返す形だが、要求をエスカレートさせていくさじ加減が巧妙で、徐々に引き込まれた。ただし、引き込まれるまでに結構な時間がかかったため、前半はやや退屈だった。

2本目は、喫茶店の客とウエイターの間に起きるトラブル。こちらも良くある設定かと思いきや、水をこぼされたのではなく単なる尿失禁だったことが明らかになり、状況は一気にねじれてくる。

そのねじれ状態が絶妙だったが、失禁の発覚という最大の驚きが結構前半にあったため、やや尻すぼみの印象も。


個人的には、ジャングルポケットが一番面白かったと思うが、2本目より1本目のほうが良かったため、採点上はやや不利な状況であったのかもしれない。一方で優勝したライスのネタには、観る側が面白さを自ら探す余白のようなものがあり、そこは特に現行審査員に玄人受けする部分もあったのではないか。


《『キングオブコント2015』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-299.html
《『キングオブコント2014』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-282.html
《『キングオブコント2013』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-247.html
《『キングオブコント2012』感想》
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-200.html
《『キングオブコント2011』感想》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20110924/1316792355
《『キングオブコント2010』感想》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20100924/1285257143

『アメトーーク!』週2回化にまつわる期待と不安

アメトーク

10月から、『アメトーーク!』が週2回放送になるらしい。

http://www.oricon.co.jp/news/2077897/full/

本人は違う曲を演奏しているつもりでも、聴き手からすると「この人、なんか最近似たような曲ばかりやってるな」と感じることが、音楽ではよくある。それは音楽に限らず、漫画でも小説でもよくあることなのだが、そこから受ける印象が「安定感」なのか「マンネリ感」なのかは、判断が結構難しい。

近ごろわりとよく、「同一人物が作る創作物の限界範囲」というようなことを考える。

これも音楽で考えてみると、それぞれ思い当たる節があるのではないだろうか。ミュージシャンはある方向性を打ち出すことによって世に出るが、やがて自らマンネリを感じ、音楽性の幅を広げようとチャレンジする段階が必ず来る。尖っていたバンドが急にバラードをリリースしてみたり、レコーディングにホーンセクションを導入してみたり。

結果、残念ながら全体のクオリティは落ちることが多い。幅を広げることにより、本人は多くの武器を手に入れたような気になるが、もちろん持っている武器の数が多いほうが強いとは限らない。1本しか剣を持たぬ相手に、10種類のあらゆる武器を持って立ち向かったところで、どれも扱いきれぬまま斃されるだけだろう。

では同じことを延々と続け、横ではなく縦方向へと、求道者的に狭い道を掘り進めていったほうがいいかというと、そこには常に行き詰まりの恐怖がある。

『アメトーーク!』が13年やってきたこの段階で週2本になるというのは、非常にリスクの大きい選択肢だが、だからこそ興味深いとも言える。

正直、プロデューサーが共通しているということもあって、近年は『アメトーーク!』と『ロンドンハーツ』が似てきていると感じていた。実際、最近ではこの2つの合同番組も放送されるようになってきているので、そのせいもあるのかもしれないが、出演者のチョイスから企画、演出に至るまで、やはり同じ人が仕切っていると、どうしても似てきてしまう部分があるのは間違いない。ナレーションに同じ人が起用されているだけでも、番組は途端に似た雰囲気になる。

つまり実質的には、今後は『アメトーーク!』が週3本放送されているような感覚に陥るのではないかと、個人的にはやや危惧している。これを、「『笑っていいとも!』のような帯番組よりは少ないから問題ない」と考えるべきか、「やっぱり飽きそう」と感じるか。

そしてもうひとつの問題は、週2回放送になるうえに、日曜のほうは「ゴールデン進出」でもあるということだ。以前、雨上がりの二人がどこかで、「『アメトーーク!』をゴールデンにという話はあるが、そういう番組ではないので断っている」というようなことを発言していたように記憶している(うろ憶え)。だから、たまにゴールデンで特番やるくらいが丁度いい、と。

だから個人的には、今回の報せには強い違和感をおぼえた。ただ、状況や段階によっても価値観は変わるものだから、いろいろと事情はあるのだと思う。本人と言うよりは、周囲の影響が。

まったく想像上の話だが、たとえば『アメトーーク!』に必要予算の3倍量のスポンサーが集まり、一方でゴールデンタイムの番組にはなかなかスポンサーが集まらない、というような状況があるとする。となれば、経営者としては、「じゃあ『アメトーーク!』の枠を増やそうか」という判断になるのは、むしろ自然なことのようにも思える。

無論それは、クリエイターとしての判断ではなく、あくまで経営者としては、だが。しかしテレビ局の上層部が、当然ながら経営者であることもまた間違いのない事実で。

いずれにしろ、今回の『アメトーーク!』倍増計画は、今後のテレビ界を占う試金石になるような気がしている。観る側としては、どうしても週2本になって弱体化していった『シルシルミシル』あたりの前例が浮かんでしまうが、そこで学習したノウハウも、何かしら生かされることになるだろう。

深夜のヒット番組がどのような幅の広げ方を、あるいは信念の貫きかたをしてくるのか、今後の動向に注目していきたい。

2016夏ドラマレビュー『侠飯~おとこめし~』/物語の骨太な軸と繊細なディテールが織りなす、文字通り「おとこめし」な世界

侠飯

とにかくいちいち面白いドラマである。細部の緩い作品をよく「詰めが甘い」というが、それでいうと「詰めが辛い」というべきなのか「詰めが無糖」とでもいうべきなのか? せっかくなので「詰めが旨い」と言いたい。

「またテレ東深夜にお得意の飯テロドラマか」などと侮ってはいけない。たしかに登場する飯はとても旨そうに見えるし、料理の小技や豆知識も目からウロコで役に立つ。しかしこのドラマの中心には、シンプルで骨太な、それでいて深味を感じさせる、まさしく「おとこめし」的な芯がある。

だからといって、単に味の濃い大雑把なストーリーだと早合点するのは、「おとこめし」の本質を知らぬ味オンチの所業である。僕もたいして味など知らないが、このドラマを観れば、「おとこめし」の本質はその大胆さと同じくらいその繊細さにもあるとわかる。いやむしろ、一挙手一投足に繊細さがなければ大胆には振る舞えない、とまで言うべきかもしれない。それは独自の任侠道を生きる主人公・柳刃竜一(生瀬勝久)の神経質なキャラクターにも通じている。

つまりこのドラマの芯の強さは、主人公の「キャラクター」と「ストーリー」、そしてグルメという「題材」の三本柱が、「おとこめし」というキーワードのもと見事に収斂されている、という点にある。それも譲りあいや帳尻あわせではなく、三つの要素がきっちりぶつかりあった上で協力関係を築いている、といった構図で。

そういう意味では、非常にタイトでソリッドな作品だと言えるかもしれない。しかしだからといって小さくまとまっている印象がないのは、やはり役者陣や脚本、演出らスタッフの細部へのこだわりが、ところどころで薬味あるいは隠し味的に効いているからだろう。

細部といえば、コメディには欠かせない「あるある」設定の按配も絶妙だ。たとえばしばしば登場する二人組の警官。いつも行動を共にしている警官二人が、制服姿のままスーパーをうろついているという状況設定の、珍妙なようでいて意外と日常的に見かけなくもないという、ジャスト境界線上の「あるある」さ加減。この二人組の警官に、芸人コンビTKOの二人をそのまま持ってきているというのもニヤリとするポイントだ。

もちろん、生瀬勝久の凄味とその裏に垣間見える隠し味としてのチャーム、そして柄本時生のリアルなびびりっぷりとのコントラストも絶妙である。さらにはエンディングロールのバックに流れる映像にまで気が利いていて、隅々に至るまで、どうやら万事ぬかりがない。作品の空気感というのは、案外こういうところで決まったりもする。

さらにこのドラマには、「任侠」×「グルメ」の他にもうひとつ、柳刃組長らの居候先であり就職活動に悩む大学生・若水良太(柄本時生)の「自分探し」という側面がある。つまりこのドラマはシンプルに見えて、こうしてひとつひとつの要素に分解してみると、少なくない素材が複雑に絡み合うことで出来あがっている。手の込んだプロセスを表面に見せないというのも、まさに「おとこめし」の流儀かもしれない。

しかしこれだけおとこおとこ言っていると、完全に男にしかわからないドラマだと思われても不思議はない。たしかに設定上、男のほうが共感しやすい内容ではあるだろう。

が、ちょっと視点を変えてみると、実はこの作品、女性にとって絶好の「婚活力養成ドラマ」なんじゃないかと思う。「男心を掴むにはまず胃袋を掴め」とよく言われるが、このドラマにはまさに、「男の胃袋を掴むコツ」が具体的かつふんだんに盛り込まれているからだ。作り慣れないビーフストロガノフよりも、「焦がし醤油の大蒜炒飯」のほうが、男心を掴む握力は圧倒的に強い。

もちろんそんな野心などなくとも、自分で作って食べてみたくなるというだけで充分だ。そしてグルメ云々以前に、本作は純粋にドラマとして思いきり楽しめるように作られている。やはりストーリーこそがドラマの核、つまり料理における白米であり、白米を上手く炊けなければ「おとこめし」は成立しない。大胆かつ繊細、これはまさに文字通り、「おとこめし」なドラマである。


『侠飯~おとこめし~』(テレビ東京/金曜24:12~/主演:生瀬勝久)
http://www.tv-tokyo.co.jp/otokomeshi/